山本海苔店(やまもとのりてん)は嘉永2年(1849年)創業、160余年の歴史を持つ品質と風味にこだわる海苔専門店です。お歳暮、お中元、お祝いの贈り物に。

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 創業の頃  
初代山本とく治郎は山本海苔店を日本橋室町一丁目に創業しました。この地名は江戸開府後、程遠からずして作製された「寛永江戸図」にもすでに「むろまち一丁目」と記載されています。 以後平成の今日まで一貫してその名称が用いられている由緒ある町名です。「室町」の名の由来は判然としていません。 京都の室町にならったという説もありますが、 この附近には京都の地名を移したものがほとんどありません。ですから、むしろ人の集まっている所を「村」(むら)といい、また「群」(むれ)と同義語の「むろ」という古い言葉を用いて名づけられたのではないかともいわれています。 初代が生をうけた文化・文政の時代は、いわゆる「大江戸文化」の爛熟期でしたが、青年時代は江戸時代の三大改革の一つである「天保改革」(1841年)を迎え、政治・経済の大変革期となりました。この躍動期に勇躍「室町」の名の示すとおり、すでに多くの人々が集まっていたこの地に山本海苔店を創業したのです。時に嘉永2年(1849年)のことでした。

 海苔は山本の名声
 
2代目の時代に初代のまいた種は完全に実り、「海苔は山本」の名声が確立されました。 従来、海苔はただ浅草海苔として画一的に仕入・販売されていましたが、2代目はまず、一見同じように見える海苔を厳格に8種類にわけました。また二代目は、お客様の最も必要とされる商品を最も廉価で販売せよと、常々口にしていました。さらに販売面 ばかりでなく製造面についても常に創案にはげみ、明治二年、明治天皇が京都へ御行幸のさい、御所方へのお土産として光栄ある上納方を弊店に仰せつけられた折、初めて焼海苔に味をつけることを考え、「味附海苔」を苦心創案しました。このように「味附海苔」の元祖は弊店なのです。宮内省(宮内庁)御用達の光栄ある御用もこの2代目の時に始まりました。

 世界の「まるうめ」ブランド
 
3代目の時代は、日露戦争の勝利に続く日本経済の発展期に当っていました。大正5年当時は、すでに国内のみならず遠くハワイ、米国本土などにも積極的に輸出していました。そのため弊社の"「まるうめ」ブランド"は日本の海苔の最高品質の代名詞として用いられるようになりました。 "「まるうめ」ブランド"は、弊店が創業当時から使用していました。その後登録商標法が制定されましたので、直ちに出願し明治35年3月5日に認可をえ、引続き登録商標梅のマークとして現在に至っています。梅の由来は海苔が梅と同じように香りを尊び、梅の咲く寒中に最も上質の海苔が採取されたことにちなんでいます。 弊店の製品に「梅の花」「紅梅」「梅の友」など梅の字を使った品々が多いのもこのためです。

 大震災の試練にたえて  
関東大震災(大正12年9月1日)は4代目の時におこり、山本海苔店にとっても一大試練のできごとでした。いまだ余震の残る9月20日、いち早く仮店舗をかまえるとともに、震災を機に日本橋から築地に移転した新しい魚河岸にも、初めて山本海苔店築地出張所を設けました。これが本店以外に支店を設けた最初です。こうした機敏な措置により、災いを転じて福となすの諺のとおり、弊店の売上げは飛躍的に上昇し続けました。

 戦後の歩み    新社屋の竣工
大戦中は、統制経済のもとで堅実な方針を守り続けてまいりました。終戦とともにいち早く復興をはかり、終戦の年の末には空襲による瓦礫を取りかたづけ、山本の「のれん」をかかげました。 昭和21年、従来の個人商店を会社組織に改め、経営の近代化をはかるとともに、乾海苔の加工技術に新しい手法を取り入れて品質の均一化をはかり、販売網の拡大に力を注ぎました。その結果 、現在6大都市を中心に180余店におよぶ売店をもって、皆さまへのサービスにつとめています。   創業以来、一貫して営業してきました由緒深い発祥の地「日本橋 室町」に、昭和40年6月、現在の社屋が竣工しました。 その設計にさいしては、近代感覚の中に正倉院の校倉造りの伝統的な日本美を生かすことを考慮しました。 山本海苔店は海苔ひとすじの「のれん」をかかげ、ひたすら、創業以来の伝統を守りながら、その中に新しい感覚と技術をとり入れ、皆様にご満足いただけるよう日夜はげんでいます。
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