今回取材していて考えたことが一つあります。

それは老舗の伝統とは一体何なのだろう?ということです。

古くからの技法?商品?お店そのもの?
それだけでは無く、伝統とは、受け継がれてきた思想、つまり「人」ではないでしょうか。
今回は羽二重団子の澤野さんのご紹介で、昔ながらの蕎麦の味を今に伝える総本家更科堀井の堀井良教さんにお話をお伺いしました。

◆寛政元年創立 総本家更科堀井

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寛政元年、信州の反物商布屋太兵衛は、そば打ち上手であったことから、信州の領主 保科兵部少輔に勧められて「信州更科蕎麦処布屋太兵衛」として江戸で蕎麦屋を始めました。もともとの地方名は「更級」であるのですが、領主の名から一文字頂き、「更科」としたそうです。それが現在の総本家更科堀井の始まりです。

スポンサーが領主 保科家であったこともあり、古くは江戸城や大名屋敷にも出入りを許され、将軍家へ納めたりしていたのだとか。

信心深い六代目の妻が托鉢のお坊さんに蕎麦を振る舞い、そのお坊さんが各地で店の話を話したことから、口コミで人気が高まっていったそうです。

昭和16年、戦時下の不況に煽られる形で廃業に追い込まれました。外部の手を借りる形で戦後に再建されましたが、創業の血を引く堀井家の手で伝統の味を守りたいと、昭和59年、8代目当主良造さんが「総本家更科堀井」として開店しました。

現代でも代々受け継いできた変わらぬ味を提供しており、蕎麦好きの江戸っ子に愛され続けています。


◆更科蕎麦とは?

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更科堀井さんと言えば、まっ白で美しい更科蕎麦が名物。

何故更科蕎麦がこんなにも真白なのかというと、蕎麦の実の芯の部分だけを用いて打つからなのだそうです。

ほんのりとした甘みと、のどこしの良さが特徴です。

更科蕎麦が現在の形になったのは明治時代の半ば。

とある夫婦が一回挽いた粉をもう一度絹でふるい、身の芯の部分を残した蕎麦を「白髪そば」として売っていたものをヒントに、当時の当主の妻が製粉会社との協力のもと更に磨きこみ、完成させたのだそうです。

お店に来て食べるよりも、お屋敷に取り寄せて蕎麦を食べる機会の多かった武家や商家の人々には、タンパク質が多く、絡まりやすくなってしまう黒っぽい蕎麦よりも、でんぷん質が多く、時間が経ってもサラリとほぐれる更科蕎麦はとても喜ばれました。

当時は15%しかとれない貴重な粉だったので、とても高価なお蕎麦だったとか。

なんとその頃から現代まで作り方がほとんど変わっていないというから驚きです!

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・会社概要
会社名:株式会社 更科堀井
http://www.sarashina-horii.com/
所在地:〒106-0046
東京都港区元麻布3-1-44
TEL:03-3403-3401
FAX:03-3403-5480

監修 宮本芳彦
文責 林正勝